「わらしべ舎での活動を通して何か経験が広がる機会となれば・・」

ここに通って来ている人たちは、やはり障がいを持っている方たちで、本当に、一般的に「働く」っていうのがやっぱり難しい人たちがこちらのほうに通ってきているわけで。ここで活動したり働くというふうなところで、自己実現がやはりできるような場所であったりとか、今まで知らなかったことを知ることができたり、何か判断をしていくときにそれを頼りに判断をできるようになったり、経験を広げられるようになったりとか、もうやはりこう、そういうような場でありたいな、というふうにはやはり思うんですね。それぞれではあるとは思うんですが、福祉のほうでも障がいの分野もあれば高齢者の分野もあれば、障がい者の中でも、わらしべ舎のような知的に障がいがある方たちがいる施設もあれば、身体障がい者の方たちのいる、精神的な障がいをお持ちという人たちと、本当にさまざまな障がいの人たちがいます。

障がいのある人たちというのはやはり、経験が非常に少ない人たちがやはり多いかなと思うんですよね。何をするにしても誰かと一緒じゃないとそれができなかったり、やっぱ危険が伴うことであったり、本人ができないようなことをやったり、そこのときにやはりストップされることがあったりとかすることというのは、やはりいたしかたないってところもあります。経験が狭い人たちが多いかな、というふうに思います。だからなおのこと、ものごとを判断したりとか自分の中で「どうしたい」と、こっちが言って決めたりなんかするときに判断材料がないと決められなかったりするところが、やはりもう誰しもあったりするんだけど。わからないがゆえにそこでそぐわない行動をとったりとか、わからないから選択をしなければ「あっ、この人は好きじゃないんだな」と判断されてしまったりとか、そういうことというようなものが多い人が多いかな、と思うんですよね。

わらしべ舎に通っている人たちがせめて、少しでもそういう、本当にこう何か経験が広がる機会であったり「自分がこうしたいんだ」というものが見つかったり、やり甲斐とか生き甲斐みたいなところを、可能性の広がる場づくりっていうようなのはしていきたいな、というふうになお思いますね、障がいのある人たちゆえにっていうのがあるってところなんです。

 

「可能性や経験を広げていくを大事に」

これ、なぜそう思うかというと。反対にやはり障がいがあるということで、社会の中で生きていくことであったり人の中で生きていくっていうふうなところで、やっぱり誰かに迷惑をかけてしまうことであったりとか、誰かの手を借りないとなかなか難しい部分であったりとか。そういった失敗とか社会の中でそぐわないようなことなんかをしながらやはり生活していく、生きていくということがどうしても出てくる、これ多いと思うんです。どちらかと言うと、その社会の中で上手くいかなかったりすることとか、誰かに迷惑をかけてしまうことなんていうのは誰しもあったりするんだけれども。どう本人たちの、こう何だろう、ケガにつながったりだとかトラブルにつながったりとか、というふうなことなんかもやはり当然つきまとうことだったりもするんだけども。どうしても「そんなの、みんなやるからいいじゃねえか」っていうふうに突き放すこともやっぱり、できないところもやはりあるので、そうなるとなるべく危険のないようにとか、誰かの迷惑にかからないように、っていうふうなことであったりとか。ケガとかトラブルにつながらないように、っていうふうなのがあります。

その目の向けどころが、安心であったり安全というふうなほうに重きを置いてやっぱり、ここの中で支援していくとなるとどうしても、その先ほど言った可能性を広げる部分とか経験を広げる部分というのが、どうしても縮小していく、というところなんかが出てきてしまうところがあります。

だからその安全であり安心する部分であったりとか、社会の中で生きて行くって言ったときに、まあ合わせないといけない部分というふうなのはそこは、必要最低限のとこはおさえとかないといけないかなと思うのですが、もうそれの上に、そこを含めて目を向けていくところは、その可能性を広げていくというふうなところがすごく大事なことかな、というふうに思いますね。

 

「地域の理解につながる活動をやっていきたい」

やっぱり社会で、社会というようなのはもう本当に「施設の中だけ」とかではなくて、できるだけ外に出ていくというかね。地域のお店を使うっていうこともそうだろうし、公共機関を使ったりすることもそうだろうし。わらしべ舎で言えば。いろんな障がいがある人たちがいるけどもやはり「働く」っていうをすごく大事にしているところはあるので。その働くっていうようなところというのは、やはりお客さんにどう、お客さんに喜んでもらうっていうのががあるんですよね。その、お客さんに喜んでもらうためにものづくりをしていかないといけないし。それを作るだけじゃなくて売っていくというときにはやっぱりお客さんのところに、販売をするってこともそうだし届けるっていうふうなのもそうだろうし。こうやはり「いる」っていうか、障がいのある人たちが普通に暮らす、っていうふうなところを何か主張するだけでなくて、わかってもらうというか(笑)そういった、利用することによって理解していただくことがあります。確かに良い部分っていうか、大きい声を出す人たちがいたりとか奇っ怪な行動をするなあ、というふうな人たちも、そういうふうに見えるところなんかも、まあ当然そういうときに見られる。社会のところにできるだけ出ていく、ってことはそういうふうになるのですが。それだけではない、もう本当にへだたりなく、誰にでもへだたりなく挨拶をする人もいれば。もうすごい、わたしなんかでは到底根気が続かないような仕事を根気づよく1個も間違わないでやり続けるような人たちもいたり。もうわたしなんか絵の才能もなけりゃ音楽をする才能もなかったりするんだけども、でもその障がいのある方たちの中にはその辺にすごい高い知能、才能を発揮する、「こんな絵をよく描くな」みたいな(笑)本当に、こんな細かいところまで見てたんだ、みたいな絵を描く人もいれば。音楽なんかでも楽譜も見ないで、耳で聴いただけで楽器を弾くというふうな人たちもいたりとか。リズム感なんかも抜群に、音楽に合わせて踊ったりですね。楽しむということに才能を発揮するような人たちがいたり、そういうふうな姿なんかも見られます。

何か「変わってんな」っていうふうなのはごく一面であって、そういった一面もあるんだというふうなこと、というなのはやはり知っていただいて、そういう普通に地域の中で我々が入っても「ああ、そういう人なんだな」と、必要以上な心配する必要がないんだな、っていうふうなところであったりとか。理解につながるようなことっていうようなこと、今だけの話じゃなくこれからずっとそういったことは必要なことと思います。わらしべ舎としては、やっていきたいことかなっていうふうに思いますね。