――わらしべ舎に入職するきっかけ

きっかけは大学に通って4年生になって、そろそろ求人活動だなっていうところで、分野としては高齢に行こうか子どもに行こうか、この知的障害に行こうかすごく迷っている時に、たまたま就職活動の求人票を就職部に見に行った時にたまたまわらしべ舎のお知らせが貼ってありました。それで見に行こう、ちょっと受けてみようかなと思いました。どちらかというと大学の時は高齢とか保育の分野のほうにいたので、突然入った感じだったんですけど、見学というか説明会に来た時もすごくみんな明るくてアットホームな感じかなというので、そのまま試験を受けてそのまま就職したっていうところでした。

――わらしべ舎の入職試験とは

わらしべ舎は入職試験があります。それこそ小論文だったり、あとは実習の試験だったり。利用者さんの雰囲気がどうかなっていうので、それで中に入らせてもらった時も自分はすごく構えていたところもあったんですけど、それ以上に盛り上がり方がすごくて、みんな本当に、外部から来たのに全然受け入れてくれました。それがすごくうれしくて「よし、ここでできたらいいな」と思っていたところで内定を頂いたので、そこからのご縁でずっとわらしべ舎で仕事をしています。

今も試験はやっていますね。小論文は、その時の時代があると思うので題材がちょっと違ってきているとは思いますが、障がい者に対しての思いなどについてです。利用者の皆さん、私たちよりもずっと年上の方々が多いんです。どうやって輝いて社会の一員として活躍できるかというところのテーマが結構多かったかなと思います。

――わらしべ舎では「外に外に出る」

わらしべ舎としては、「内に内に」じゃなくて「外に外に」出していこうっていう事業所でもあるのかなっていうところで、本当に活躍できる場、それが地域だったり社会全体だったりと考えているところで、「すごいな」じゃないですけど、私もそのお手伝いができたらなってことは、今でも思っています。

「どうやって外に出していこうか」事業所の中にいて過ごすのを、一歩外にということを考えているのがわらしべ舎なのかなと、自分もそういうふうにできたらなって思っています。

――利用者さんにも支えられる

どうしても最初の1、2年、3年ぐらいまでは社会の厳しさというか、それはどこの会社に勤めていても慣れるまでっていうのは、私自身もすごく大変だったなっていうので、どういうふうに仕事を覚えていったらいいのか、学生と違ってどう周りの人と関わっていったらいいのかというので、3年間ぐらいはつまずいた年だったなっていう中で、上司の人たちの助言だったり「こうしてみたらっていうチャレンジする気持ちは大事だよ」っていうのも教えられつつの初期の段階だったので、誰しもがきっと最初の数年は苦しむ時なのかなとは思うんです。

わらしべ舎の利用者さんたちが「どうしたの」って支えてくれるのが、私の糧だったのかなって思って振り返りますね。しょげていると「どうしたの、いつも元気なのに今日はなんか暗くて」「どうしたの?」という、先輩、職場の上司じゃなくて、利用者さんたちから背中を押されるところがすごくうれしくて、正直本当につらくて家に帰って悩んだりもしたんですけど、それでも次の日に来ると「どうしたの」から話を聞いてもらえたりとか「大丈夫だよ」っていう利用者さんの支えで今の自分があるのかなっていうのと、逆に私が支援したことで利用者さんの成長を見られる時もありました。

――求職者に向けてメッセージ

ここを創設、始めた中村前理事長の思いがすごくわらしべ舎には詰まっているのかなと思います。今、退任はされましたけれども、それでも中村さんがたまに遊びにくると、みんなすごく元気になってというところもあるので、やっぱり家族の思いというのが強い施設ではあるかなとは思うんです。その中で、元気に、みんなと一緒に生涯を遂げる、までいくとちょっと重いですけど、楽しんでわらしべ舎なりに生き生き活動できる人が来てくれると、利用者さんも元気になってくれるのかなって思います。

この前、入舎式を行って今年入られた方のご家族さんからも「他の施設にはないカラーですよね、すごくアットホームな施設ですね」と言っていただき、それを目指していたところもあったので、その一言ですごくうれしくなりました。なかなか今の時代って他人は他人、自分は自分、友達は友達みたいな分け目がある中でも、みんなで和気あいあいと楽しめる所ではあるので、ちょっとそれをいい方向に持っていきたいなって思います。